岡田仁志 連載コラム「はばたけ、闇翼たち!」最終回

2009/12/24 | <<一覧に戻る

そこにサッカーがあった

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 ゴールは、すべてを癒やす――。そんなことを痛感した4日間だった。12月20日に全日程を終えた第3回ブラインドサッカーアジア選手権で、日本チームが決めた7つのゴールを、私は生涯、忘れないだろう。

 マレーシア戦で佐々木が決めた先制ゴールと、FKから練習どおりに決めた落合の2点目は、無得点で終わった2年前のアジア選手権で受けた傷をふさいでくれた。わずか3分のあいだに成し遂げられた葭原のハットトリック(日本サッカー史上に残る偉業と言いたい)は、世のお父さんたちに勇気と希望を与えた。失礼を承知で書くが、まさか「闇翼賞」(前回のコラム参照)を彼に贈ることになるとは想像もしていなかった。本人も、「あれは夢」だと言う。「シュートしたのは自分じゃないと思う」とも言うから、どうやらあのときの背番号3は、葭原のぬいぐるみを着た何か別の生き物だったようだ。たぶん、あの3分間の47歳の中には、日本選手団全員の魂がぎっしり詰まっていたのだと思う。

 そして、韓国戦で黒田が放った2本の美しいシュート。サッカーの快楽を十全に表現し尽くした2つの完璧なゴールは、日本国内でこの競技に関わるすべての人間の心を、やさしく癒やしてくれた。

 2年前、韓国に負けてパラ出場を逃し、悔し涙を流した仲間たち。それから2年間、雪辱のために代表チームを支え続けたサポーターたち。互いに切磋琢磨することで日本のブラインドサッカー全体の底上げに力を貸したすべてのプレイヤーたち。国内初の公式国際大会を成功させるべく、連日の徹夜作業に耐えながら、最初から最後まで円滑な大会運営をやり遂げた事務局スタッフと100名を越えるボランティアたち。寒い中でアミノバイタルまで足を運び、スタンドから声援を送った観客。それらすべての人々の努力に報い、苦境から救ったのが、あの2ゴールだった。サッカーの世界では、応援者のことを「サポーター」と呼ぶ。しかし実のところ、真のサポーターはスタンドにいるのではない。ピッチで戦う選手たちこそが、私たちを支えてくれるのである。

 この7ゴールによって、06年から07年まで足かけ2年、地球2周分の距離を移動して3つの国際大会を観戦し、13試合で4回しか日本のゴールを見られなかったライターの心が、十分すぎるほど癒やされたことも、ここで申し添えておこう。なにしろ、それまで650分で4点だったのが、250分で7点だ。日本にいながら(飛田給までの電車賃や駐車場代程度の出費で)これだけの歓喜を味わえたのは、本当にありがたいことである。地元開催って、すばらしい。

 もちろん、日本に世界選手権の切符をもたらしたのは、得点者だけではない。マレーシア戦で落合のゴールが生まれたとき、敵のカベを押さえてシュートコースを作ったのは、日本の愛すべき「10番」、キャプテンの三原だった。彼のキャプテンシーがあったからこそ、チーム全員が葭原に乗り移ることもできたに違いない。また、最年少の加藤は、何もできなかった2年前とは見違える動きを見せ、年齢に似合わぬいぶし銀の働きでチームに安定感を与えていた。さらに、今大会で多くの観客の目を見張らせたのが、守備陣の奮闘だ。繊細な動きで敵のシュートコースを切り、体を張ってボールを奪い、ダイレクトのクリアで何度も味方を救った田中のプレイは、「アジアの壁」と呼ぶにふさわしいものだった。韓国戦の終盤に投入され、きわめて難しい局面だったにもかかわらず、ファウルを犯さずに敵の攻撃陣を潰した福本の冷静な動きも賞賛したい。

 そして忘れてならないのは、GK陣である。この1年、チーム内では4人のGKが激しいレギュラー争いを繰り広げてきた。それがレベルアップにつながったのは言うまでもない。最終的には佐藤と安部が選出されたが、メンバーから外れた福永と福島も最後までチームに帯同。中国戦や韓国戦で飛び出したファインセーブは、いずれも「8本の手」がボールに向かって伸びていた。背番号1と12のユニフォームの中には、常に4人のGKが入っていたのである。

 2つの中国戦は残念な結果に終わったものの、私には、ベンチの風祭監督が実に楽しそうに指揮を執っていたように見えた。あの強敵に、どんな戦い方が通用するのか――大声を張り上げて選手を動かしながら、さまざまなパターンを試行錯誤するその姿は、「サッカーはいろんなやり方があるからオモロいんやで」と言っているように見えた。コーラーの魚住も同じ。これは大会後にテレビで見たのだが、初日の中国戦で黒田の痛烈なシュートがGKに阻まれた瞬間、ゴール裏でひっくり返って悔しがる姿にも、サッカーの躍動感が溢れていた(ちなみにそれを現場で見ていなかったのは、私も反対側のゴール裏で背中からバタンと倒れていたからです)

 日本チームは、全員で心の底からサッカーを楽しんだ。間違いなく、優勝チームよりも彼らのほうが楽しんだと思う。私は何よりもそれが嬉しい。中国は決勝進出を決めた後のマレーシア戦で、主力選手をピッチにいながらプレイさせず、サイドフェンスに寄りかかって休ませていた。あのフェンスは、そんなことに使うために設営されたのではない。1メートル前を転がるボールにもまったく反応しないその姿は、フットボーラーにはあり得ないものだった。おそらく中国チームは、サッカーよりも勝利を愛していたのだろう。最初から最後まで全力で走り、すがすがしく戦った日本チームを、私は誇りに思う。この大会でもっとも気高いサッカーを見せたのは、私たちの日本代表だった。

 最後にこの場をお借りして、個人的な反省の弁を述べておきたい。私は閉会式後のレセプションで、光栄なことに「プレス・アワード」のプレゼンターという大役を与えられた。その挨拶の中で「われわれジャーナリストは批判精神を忘れてはいけません」などと偉そうなことを言い、この大会でスポーツマンシップに欠ける試合があったことを指摘したが、当然、その批判精神は自分自身にも向けられるべきだ。

 大会期間中、私にはプレスにあるまじき行為があった。日本とマレーシアの試合中、サイドフェンス際のプレスエリアから乗り出して指をさし、「これはファウルだろ!」と審判にクレームをつけたのは私です。プレスがそんなことをしては絶対にいけない。退席処分を食らっても文句は言えない行動だった。心から反省している。

 それだけではない。韓国戦終了後には、あまりの嬉しさにセルフ・コントロール不能に陥り、プレスエリアを踏み越えて日本選手団と手当たり次第に抱き合ってしまった。スタンドで見守る仲間たちやボランティアスタッフだって同じことをしたかったはずなのに、私だけあんなことをしてしまい、本当に申し訳なく思っている。ごめんなさい。ほぼ心神喪失状態だったと思って、どうか許してください。

 8ヶ月後の世界選手権に向けて、選手たちだけでなく、取材者としての私も、もっと成長しなければいけない。アジア選手権が終わったのでこのコラムも「最終回」としたが、もし、こんな私にまだ書く場を与えていただけるなら、また新たな気持ちで連載を始めさせてほしいと思っている。とりあえず、半年間のご愛読に深く感謝いたします。どうもありがとうございました。(2009/12/24)


※付記 上記の「プレス・アワード」は、主催者より依頼を受けた5名の記者団の総意に基づき、今大会で誰よりもサッカーをエンジョイしていたSaihul Izwan Rostam選手(マレーシアのナンバー6)に贈呈しました。


プロフィール
岡田仁志(おかだ・ひとし) 昭和39(1964)年北海道生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。深川峻太郎の筆名でもエッセイやコラムを執筆し、著書に 『キャプテン翼勝利学』(集英社インターナショナル)がある。3年前からブラインドサッカーを取材し、今年6月、『闇の中の翼たち ブラインドサッカー日 本代表の苦闘』(幻冬舎)を上梓。

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